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代表ごあいさつ

VOICE

着物

世界中でたった一人のあなた

「世界中でたった一人のあなた」が本来持っている美しさを追求し、表現していきます。誠心誠意を尽くし、お客さまが自信を持って前向きに生活していくための「生きる原動力」を提供していきます。

「あなたのすべてが輝き、らしく生きる!」を応援したい。
それが私ののぞみです。世界中でたった一人のあなたへ!

PROFILE

静岡県生まれ 

1968年

静岡県美容技術選手権大会で優勝 

1973年

富士宮市に1号店「悦ヘアサロン」をオープン

1977年

VIDAL SASOON杯争奪全日本カットコンテスト第1回6位入賞

1978年

VIDAL SASOON杯争奪全日本カットコンテスト第2回優勝

1979年

VIDAL SASOONアカデミースクール ロサンゼルス校 ・サンフランシスコ校を卒業

1982年

悦(よし)ヘアサロンとして独立開業ののち株式会社ビューティー岡本を設立

1985年

富士市に2号店をオープン

1991年

沼津市に3号店をオープン

2004年以降

日本髪をはじめとした日本文化の継承に尽力し美容のスタイルに新たな境地を開拓中

INTERVIE

どうして店内にヘアカタログを置いていないのですか。

それは当たり前でしょう。その人に似合うスタイルは決して雑誌の中にはなく、自分自身がもつ、世界でたった一つの形しかないからです。人の真似では自分の良さは引き出せません。私たちは開店以来ずっと、「世界中でたった一人のあなた」を創り出すことをテーマに、お客様自身が本来もっている美しさを追求し、表現していくことを一番の目的にしてきました。

お客様のカウンセリングをじっくりと行い、生き方や考え方を加味しながらデザインを考えていきます。その人だからこそ似合う、一番美しく映える居心地の良い髪を作ってあげることを何よりも大事にする。それを妥協なく追求していくことを信念に、これまで多くのお客様の信頼を獲得してきたんですよ。

その想いはどうやって培われることになったのですか。

私が26歳のとき、当時世界最高の美容師とうたわれていたヴィダル・サスーンが来日したことがきっかけでした。それまで江戸結いの日本髪を中心に学んでいた私は、彼の公演が見たくて仕方がなく、4万8,000円という高額チケットを、給料を前借りして購入して上京したのです。

サスーンのカットを見て、それはもう大きな衝撃を受けました。そこには建築でいう骨格、柱、緻密で美しく設計された構造体があり、その上にデザインが施された重厚なもの。それまで見たことのない本物の技術を感じさせるカットの技法でした。

また彼は言いました。ヘアスタイルは「あなたの個性を表現すること。それはあなたの魅力を表すものであり、人の真似からそのスタイルは生まれない」と。サスーンのその言葉に、心を大きく動かされましたね。

そこからサスーンに師事するようになったのですね。

もう居ても立ってもいられず、彼のカットを学ぶためにロサンゼルスに渡りました。そして生来の負けん気が芽生え「やるなら日本一」と強く思うようになったのです。

ヴィダル・サスーンはその後、世界のファッション市場を次々に制覇していき、ついに日本で「VIDAL SASOON杯」コンテストを開催することを発表したのです。

私はなんとしても優勝したいと思って、懸命に練習を重ねました。しかし、1977年の第1回大会は6位という結果。その時は本当に悔しくて、新宿の街を恥も外聞もなく泣きながら歩いたものです。

次は絶対に優勝してやると心に決めて奮起し、1978年の第2回、ついに優勝を果たすことができたんです。それをステップに美容師として経験と実力をつけていき、やがて人真似ではない、お客様自身の個性を活かしたスタイルを表現できる店を作りたいと思うようになりました。そして、悦(よし)ヘアサロンとして独立開業を果たし、1982年に株式会社ビューティ岡本を設立したのです。

創業以来40数年を経て、何か変わったことはありますか。

理念はまったく変わりませんが、自分自身が海外でも仕事をするようになったときに、一つの想いが湧き上がってきました。サスーンの技術を得る一方で、日本ならではの文化的な素晴らしさを、私たち日本の美容師がもっと広めていかなければならないという考えでした。

それはやはり日本人としての血かもしれません。私自身日本髪をやっていたことでその想いがずっと心の中にあり、15年前から当店のスタッフには日本髪の勉強をしてもらっています。自ら興味をもって、休みの日も勉強してくれていますね。

美容を志す人が日本髪を学ぶことは必要なのですか。

私は絶対に必要だと思っています。節目の行事で和服を着て日本髪にする習慣が廃れない以上、日本髪がなくなることはありません。そのことを日本の美容業界ももっと大切に考えるべきです。

そして美容に携わる誰もが知っておかなくてはいけないのは、日本髪こそ日本人にとってもっとも自分らしさを表現できるもので、その技術を学んでいる人こそ、日本人の美をもっとも表現できる技術をもっているという事実です。

日本人の良さを表現するのに、ヨーロッパやアメリカの真似だけでは駄目です。日本人としての美の土台がしっかりしているからこそ、美しさが引き出せる。学べば学ぶほど日本髪の奥深さが分かっていくものなのです。

 それは日本人が世界と勝負するためのオンリーワンの技術を身に付けることになるのでしょうか。

その通りです。私はサスーンが亡くなった2012年に、ロンドンでの告別式のあと、追悼の意味を込めてストリートで日本髪のゲリラパフォーマンスを行いました。多くの人が応援してくれ、海外で日本髪が高く評価されていることを実感しました。

また、アメリカやヨーロッパの女性たちに、日本髪のテクニックでピンを使わずに束ねて結うスタイルで仕上げてあげると、ふわっとした色気が出てとても評判になりました。ニューヨークやロンドンで日本のデザイナーが日本髪のパフォーマンスを見せれば絶対に高く評価されます。世界に通用する実力をつけるには、日本髪の良さを自らのオンリーワンの技術として確立し勝負してほしい。日本の若者をぜひそうしたステージに立たせたいのです。

御社にはどのような動機で入ってくる美容師の方が多いのですか。

本物の技術を身に付けたいという動機で来られる人ですね。たとえばずっとお客様としてご来店頂いていた方の娘さんを、「美容師になるにはここしかない。預かってほしい」と頼まれたことや、東京の美容学校を出て都内の人気店で働いたけれど、自分の思う美容とは違和感を感じて当社に入社した人もいます。
またいちどは研修生として来てみたものの、「やれる自信がない」と近くの美容院に2年半くらい勤めた後で、「ここの技術が本物であることが分かった」と帰ってきて、今は店長となっている男の子もいます。

岡本代表はどのような人材を育てたいと思っていますか。

世界で活躍できる美容師です。流行に流されるのではなく、次の世代につながる確かな技術を身に付けてほしい。一流になるには一流にふれることです。ここには、そのあらゆるチャンスがあります。
確かに東京の青山や六本木のサロンを見ると、話題性や見栄えの良さ、街のブランドでお客様を惹きつけるほうが簡単かもしれません。そうではなく、自身の美容師としての実力で稼げるようにならなければ意味はない。
場所で稼ぐという空虚なブランドではなく、地に足を着けて、どこでも勝負できる自分自身の実力こそが重要なのです。時代を超えて生き残っていくものが本物であり一流なんです。

今後のビジョンを教えてください。

「世界中でたった一人のあなた」を創り出すことのできる本物の美容師を1人でも多く育てることが私の使命です。そのためのメッセージとして、私たちが力を入れてきた日本文化の美容への融合をめざして、「日本岡本稽古堂」という、美容師に日本髪を教える会を来年立ち上げようと思います。
そこでは、江戸結と京結いの日本髪を「21世紀の髪結い」と位置づけて新たな手法を創作していきます。流行のヘアスタイルが作れるということだけでなく、日本人ならではの日本髪を教わりたいという人が全国から集まって来てほしい。そうした日本の有志を集める場となる、「日本岡本稽古堂」への多くの参加を待っています。
日本の文化を知り、洋髪と融合することで世界と勝負できる美容師を育てる。そのために21世紀の髪結いどころを確立していきます。それを実現することが、私がこれまで美容の道を歩んできた答えです。そう考えて、全総力を注ぐつもりですよ。

こちらのインタビュー記事は、「NIPPONの社長」に掲載されたものを引用しております。

受賞・資格

1968年

静岡県美容技術選手権大会 優勝

1972年

全国かづら十日会 日本髪認定講師認定 取得

1975年

VIDAL SASOON アカデミースクール ロサンゼルス校卒業
VIDAL SASOON アカデミースクールサンフランシスコ校卒業
VIDAL SASOON杯争奪全日本カットコンテスト第1回大会6位入賞
アジアヘアースタイリングコンペティション全日本代表入賞

1977年

VIDAL SASOON杯全日本カットコンテスト第2回大会総合優勝

1982年

株式会社ビューティ岡本設立

1990年

CATフランス美容理容技術協会主催 美容技術世界大会オスカー賞受賞

1993年

ジャパンカラーアナリストアソシエーション(JCAA)設立

1994年

マレーシア・クアラルンプールに株式会社TBC21設立